浦富のお台場公園と大阪天保山の台場跡の関係

鳥取県岩美町には国の史跡の【浦富台場跡・浦富お台場公園】があります。

浦富お台場公園に関する記事は→ 浦富お台場公園(浦富台場跡・国史跡)について

※相変わらず長いですが…お読みください。 長いのイヤ!っという方に内容を要約すると

この台場は1863年、攘夷運動により起きた下関戦争に続き、当時大阪天保山台場(砲台は完成前)を守護していた鳥取藩が英船を砲撃した際の報復を想定して、因伯海岸(日本海岸)の守護を早急にするために鳥取藩から命を受けた家老である鵜殿家の指示で築造されました。

アジアの戦乱や国内の飢饉など不安定な財政の中、台場工事は苦難でしたが

『このまま放置していたら敵に侵入されて1番被害を受けるのは百姓だ』

という鵜殿家の言葉で『それは大変なことだ!』と民は自ら進んで台場工事に参加し、寺院は鐘(砲台の原料となる鉄)を供出し、完成後には農兵として訓練をして皆で浦富地域の守護態勢を整えたそうです。

今は海を見ながらのんびり散歩したりピクニックができる観光スポットになりました。このような穏やかな日々が未来も続きますように。写真は、お台場工事を急ぐキッカケとなった大阪天保山台場跡です。(今日3月25日撮影)