新型コロナ感染症拡大防止のため、第1回を最後に延期しましたので、山陰海岸ジオパークガイド養成講座(中級)第2回から始まり、今回が最初(1回目)になります。
今回はいわみガイドクラブ油浅代表の解説による岩美町内にある中世の山城巡りでした。山城といっても今から500年以上も前に築城されたもので、日本100名城と言われような石垣や天守閣といったものはなく、土塁や切岸、堀切、竪堀、空堀、曲輪などが認められような城跡で、山城には、居館、詰城、砦、烽台などがあり、町内には約60を超える山城跡が認められています。
岩美町の中世山城巡り
桐山城、道竹城、二上の城など中世の因幡史の資料的価値認められ、今も愛好者が訪れる城址や、在郷の領主の居城と思われものから頂上部を平坦に切り開いただけの烽台、小規模の砦のようなものまであり、その多くは、藪や樹木に覆われ、人がほとんど立ち入っていないため、土塁、居館跡、曲輪、竪堀、切岸、堀切など城郭遺跡を直接確認することがこの時期難しく、遠くからの眺望でした。
浦富海岸第2駐車場から桐山城と二上城・道竹城を望む
浦富海岸第二駐車場からのスタートです。
西側に荒砂神社に箭を奉納した山中鹿之助が一時期滞在したと伝えられる桐山城があり、遠く南西には山名時氏が築城したといわれる二上の城跡がみえ、三上兵庫守經實が二上の城から移ったとされる道竹城跡が、民家の屋根に見え隠れします。
また東側牧谷には、浜坂の芦屋城主鹽冶判官家臣、一ツ上弾正の一ツ上城、その砦である比丘尼城跡が見え浦富海岸は、つい目の前の美しい海岸に目を奪われますが、山城があったとされる山を見渡すことも貴重な時間でした。
陸上鉄橋下の交差点付近から陸上寺山谷城跡・中島城跡
浦富海岸第二駐車場から178号線を東方面に移動し、陸上鉄橋下付近から東側に見える陸上寺山谷城跡、また、南西側には中島四郎左衛門がいた中島城跡が見えます。
岩井宇治長者寮付近にて坂下、猪野山城跡、養老山城址、勝負谷城址
続いて岩井方面に向かい、岩井宇治長者寮付近にて坂下、猪野山城跡、養老山城址、勝負谷城址の説明を受けましたが、正直なところ解説無しではお城があったことも想像ができませんし、現状では何がどこにあるのかわかりませんので知ることができてよかったです。
長谷橋から長谷愛宕山城址、弥五谷城址、琴弾城址
続いて長谷橋に移動をしました。
長谷橋から長谷愛宕山城址、弥五谷城址、琴弾城址について説明・解説を受け、長谷愛宕山城址は但馬へ続く山越えの道を監視する狼煙場と推測されており、山陰道の裏街道の監視として築かれたか?という説もあるようです。
蒲生、蕪島、鳥越・半瀧城址、山ノ神城址、洗井城址、高尾山城址、銀山城址
岩美町の南端、但馬から西に国府町へ続く街道筋、かって羽柴秀吉が鳥取城へ攻め上った街道であり、また北上して浦富より浜側から鳥取へ続く街道筋の拠点、交通の要路、軍事上でも重要地であり、蕪島から蒲生までに半瀧城址、山ノ神城址、洗井城址、高尾山城址、銀山城址などが並んでいます。
岩常橋の上から黒谷城址、猪ノ谷城跡、奥関山城址
二上の城城跡は手前の山に隠れて見通せませんでしたが、黒谷城址、猪ノ谷城跡、奥関山城址を望み、小田川上流には吉見兵部大輔在城の姥ケ谷城址、延興寺宮山城址、などがあるという解説を受けました。
恩志橋たもとから埋蔵金伝説?の岩山城址
恩志橋では、恩志露神社に続く上ノ山城址、埋蔵金伝説の岩山城跡、蒲生川の東側にある高山城址、広岡城址、また総合運動場駐車場建設で削られた猫山城址などが見れました。
時間に限りがあることと、山道は藪や樹木に覆われていて登れる状況ではないことも踏まえ、麓から城址・城跡を望む実地検分となりましたが学校の教科書では習わない岩美町ならではの歴史学習に触れることができました。
11月13日(土)の当ガイド講座第5回では、二上城にあがる予定です。お申し込みは 令和3年度山陰海岸ジオパークガイド養成講座中級編詳細&申込書ページ よりお願いいたします。