秋田の天然記念物の角館の枝垂れ桜竹等で保護。樹齢七年だそうです。

先日4月16日、仙英ヶ丘枝垂れ桜を育てる会で植樹と整備をしました。

続いて、明日5月6日、秋田の天然記念物の角館の枝垂れ桜の苗木を岩美中学校へ植樹する予定でしたが雨模様なので急遽今日5月5日の午後から作業しました。一本は9年もの、もう一本は3〜4年ものです。仙英禅師に対する澤田廉三氏の思いを込めた、角館の枝垂れ桜が復活しました。

仙英禅師は浦富の生まれで景福寺の住持だった48歳の時、井伊直弼の招きを受けて彦根藩菩提寺清涼寺に移り、幕末尊皇攘夷、開国か鎖国かに国内が二分する時、大老井伊直弼は迷い、仙英禅師に意見を求め、ペリーに対し条約調印、開国に踏み切ったとされています。

以後、今日の日本国の発展はまさにこの決断からで、この決断の影に岩美町出身である仙英禅師がいました。岩美町の我々はこの事を世界に誇って行くべきだ。と澤田廉三氏が昭和33年仙英禅師を碑を中学校裏山に建立、その10年後昭和42年に、国連平和の鐘側に有名な角館の枝垂れ桜を植えると同時に仙英禅師碑にも同じ角館の枝垂れ桜を植えました。

この経緯は地元鳥取の雑誌「大因伯」に残っています。しかしながら現在その桜の姿は見られません。この度、『仙英ヶ丘枝垂れ桜を育てる会』では知人を頼って秋田県庁に交渉して頂き、天然記念物角館の枝垂れ桜を岩美まで運んで貰い、仙英ヶ丘と岩美中学校に植樹が叶いました。

仙英禅師の業績、澤田廉三氏の仙英禅師に対する思い、同時に子どもたちに伝えるとした桜を植樹したもので、大切に守っていきます。