岩美町浦富には熊野神社があり、スタッフK個人情報ではありますが、時間がある際によく立ち寄るようにしています。
祭神は若一王子「若宮」と称し、天照大神、伊弉諾尊いざなぎ、伊弉冉尊いざなみ 速玉男命 泉事詳男命(泉津事解之男。) 武甕槌命を祀っています。
住宅街にあるのですが、一歩はいると静かな杜という感じで心が落ち着く参道です。
境内に解説がないためスタッフKが個人的に岩美町誌などで調べた情報ですが、まず難しい言葉の羅列ですがこちら↓
※個人的に言葉が難しいので頭に入らず…ガイド時にわかりやすく噛み砕いて解説します
熊野神社は大字浦富字照山529鎮座し創立は承和年間834年より前国常立命一神を御祭りし社号を天照大神が【若一王子】と称して祀られ、のち南紀熊野宮から伊弉諾尊いざなぎ、伊弉冉尊いざなみ 速玉男命はやたまのをのみこと 泉事詳男命(泉津事解之男。ミヅコトワケオノミコト) の四神を観請して合祀しました。
板谷播磨守が本町桐山城に居城してから 同隠岐守嫡子播磨守光成等代々当社を崇信し、熊野神社に剣刀を奉納、寛永以降(1632)寛永以降(1632)池田光仲が藩主のときに因伯国家老鵜殿氏が鵜殿大隅陣屋を築いたころからは代々崇敬篤く、社殿の造営や武器、宝物などを奉納して享保年間から(1716~)神幸祭礼を行い始める 祭祀料として田地七反歩を寄進し社領六石をつけた。
拝殿に鵜殿家の家紋があります。
※文化十年(1813)5月に火事が起こり記録が消失
- 文久3年(1863)9月に鵜殿大隅の発意により 鳥取藩主池田慶徳氏が藩の学館に奉祀している武甕槌命を合祀
- 明治4年(1871)熊野宮と改称し、その後さらに熊野神社と改称次いで村社へ。
- 明治40年(1871)4/27に神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)として指定
熊野神社の拝殿右側の目立たないところに、傘と火袋部分が壊れてしまった石灯籠があり、その灯籠の竿部分には【竹・笹の葉】が彫刻された珍しく、そして縁起の良いデザインになっています。
竹は真っ直ぐに育ち、折れない強さから、迷いなく一直線に進む心の強さを意味しますので、そういった意味を含んで彫られたのかなぁなんて得意の妄想をしています。また大きなウロもあったのですが、台風の影響で折れてしまいました。
折れる前のウロです。
ぜひ熊野神社にも足を運んでみてください。
熊野神社の参道の植物
とある日、仕事の御礼参りと報告に神社に行き、その後に参道の木々を見ていたら幹が92度くらいに屈折していて折れ目が龍みたいだと思って写真撮ってみたら光がちょうど口から光線出しているみたいになりました(私だけがそう見えるかも…)
そしてクサイチゴの花も散り実をつけて赤く輝いていました。四季の移ろいを感じるたび、自分の成長に対して反省したり木々の様々な形で生き延びる深い生命力からパワーを頂いています^^
ちなみに岩美町と鳥取市の境にある駟馳山の麓にある古墳の小畑一号墳、穴観音は干拓から豊穣祈願で地元の方が仕事着のまま、祈願と感謝でお参りされていたそうです。
私も仕事帰りに熊野神社に立ち寄ったりするのも昔の人と行動は変わらないものだなっと思ったことを記憶しています。
穴観音にいった際の写真です↓
熊野神社へは天照大神ということで基本的に大きな自然災害から守ってくださることのお礼を伝えにいったり、自分の手足が動いて仕事ができることの感謝などを伝えています。
初めまして。
東京に育ち、近年京都に住んでおりますかみむらと申します。
先日初めて岩美町浦富海岸鴨ヶ岩の浜にいきまして
その素晴らしい景観に、感動いたしました。
その後、その辺りが気になりネットで調べていてこちらの記事を
見つけました。
神社、仏閣は好きでよく出かけ、以前、和歌山の熊野神宮にも出向いたことがあり
こちらに熊野神社があるのかと思いました。
またこちらの地をおとづれた折には、熊野神社にも
参拝させていただきたいと思います。
今回の旅でとても浦富海岸鴨ヶ岩の浜に興味を持ち
何か伝説や昔話などあったら、知りたいと思っています。
今回岩美町という素晴らしい場所を知ることができて、よかったです。
かみむら泰一
かみむら様
コメントいただきありがとうございます。
鴨が磯は本当に美しい景観ですよね。
また熊野神社も住宅街にありながらも
緑に囲まれ静かな雰囲気があります。
鴨が磯の昔話といえば、
鴨が磯にある大きな島、太郎兵衛島は
漁師の太郎兵衛さんが荒天の中座礁し、
太郎兵衛島にたどり着き命が助かったから命名されたという話と
おともと浸食で洞門だったのですが昭和1年の鳥取地震で洞門が崩れ
離れ岩になりました。
またお越しいただいた際にご確認ください。
ありがとうございました。