山中鹿之助が尼子再興の悲願成就に荒砂神社に奉納したとされる矢

先日 戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将であり尼子氏の家臣の、山中鹿之助が桐山城を拠点とし様々な活動をされた際、尼子再興の悲願成就のため荒砂神社に100本の矢を奉納し、その矢と伝えられる二本の矢が残っていて、額に入れ奉納しました。

同時に 鳥取藩家老・鵜殿氏の家臣久保居明の次子として生まれ、のちに明治維新後に内務官僚となり、京都・滋賀・沖縄など様々なことに尽力され東京府知事に就任された松田道之の肖像画も奉納しました。

松田家は代々鵜殿家の家臣で岩美町浦富殿町に住んでいました。松田道之は、神社鳥居前の海側、自然石の『常夜灯』(両損和合繁栄)、左右の切石灯籠を寄進しています。