
四月九日(日) 浜浦富地区の荒砂神社の祭りが開催されました。久しぶりの祭りで子供神輿(みこし)が出て賑わい、小さな巫女さんに保護者の方が、見守っていました。社殿には鵜殿家が奉納した甲冑が展示されていました。
踊りも披露しました。 荒砂神社の石段 元は今川家の家臣だった鵜殿(うどの)氏、今川家滅亡後は、流れ流れて?鳥取藩主 池田家の家臣になりこの地(浦富)を治めた。その鵜殿氏が奉納した甲冑。頭上には鵜殿家の家紋が見られる。 尼子十勇士の一人で「我に七難八苦を与えたまへ」と祈った、初代桐山城主山中鹿之助が奉納したとされる弓矢。 本殿には、左甚五郎の高弟の小倉圓三郎の作とされる彫刻は見事である。 荒砂神社内部 子どもの頃の記憶では、榊(サカキ)はもっと太く、大きかったように思います。この時代太く、大きい榊自体見かけなくなった。因みに榊は字のごとく「神事」に使われ「非榊:ヒサカキ」は仏事に使用される。