【岩美町にゆかりがある武将】写真はWikipediaより
『太閤記』『後太平記』からの通説によると天文14年8月15日(1545年9月20日)に山中幸盛(鹿介・鹿之助)出雲国富田庄・現在の島根県安来市にて生誕したとされています
山中幸盛は山陰の麒麟児といわれ、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名な武将です
第二次尼子再興運動の際、1573年には岩美町の桐山にある桐山城を拠点とし、一度は鳥取城を攻略しましたが、城主にした山名豊国の寝返りにより勢力が不安定になって行きました
その後も尼子家再興に生涯を尽くしましたが1578年、毛利家の人質となり謀殺され生涯を閉じました山中幸盛の死後、長男は酒造業を経て鴻池財閥の始祖となりました
山中幸盛についてまとめた記事→岩美町を拠点にしていた山中幸盛(鹿之助)の生涯を知ろう!
山中幸盛(鹿之助)を偲び、MIDの会・いわみガイドクラブと共に例年11月には桐山登山イベントを開催し、桐山城があった桐山の頂上にあがり、山中幸盛(鹿之助)がどんな気持ちでこの風景を眺めていたのかなどなど想いを馳せ、参道の整備や草刈りなどをしたのちに、下山してBBQをして情報交換など行っておりました。
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