令和3年度山陰海岸ジオパークガイド養成講座中級第3回、浦富まち歩き(町浦富)が10月9日に開講いたしました。受講された皆様ありがとうございます。浦富地区は駅前地区、町浦富、浜浦富の3つに大きくわかれていますが町浦富だけでも見どころや学習スポットはたくさんあります。
令和3年度山陰海岸ジオパークガイド養成講座中級第3回のレポート
浦富台場跡
浦富台場跡は浦富海岸に面した場所にあり、幕末(文久3年[1863]) 鳥取藩執政職鵜殿大隅長春が攘夷政策のために築いた海防施設で東西約100m、土塁の幅は10m前後、高さ3m前後、前方土塁の平面形は2ヶ所に稜をもち、西洋式の城塞プランが取り入れられ、12斤砲、6斤砲、5寸径砲等4門の大砲が備えられていたそうです。現在は広場(浦富お台場公園)となっており御台場の案内板には、もう一つ台場があったことを示す絵図がプリントされています。
但馬往来道標
178号線沿いにある道標の前で由来を聞きました。但馬往来は、鳥取(市)から岩美町岩本を通り、浦富から178号沿いに東へ向かう道程と、岩井温泉から蒲生峠を越えて兵庫県へ向かう道程の2本に分かれる街道で、古代律令制度の官道として整備され、主要路線として利用されてきたそうです。度々の交通事故で傷だらけの道標は一時、行方不明だったのですが、見つけられ現在地に建っています。「右但馬」、「左鳥取」の方向が実際と違うのは、道路の新設・拡張でもともと建てられた場所と違っているためです。(本来は道路の向かい側とのことです)
定善寺と垣屋八幡宮
国道187号線沿いを少し東に入った所に位置する定善寺は因幡観音7番札所で今回の講座では定禅寺の前住職さんから、寺の由来、境内の垣屋家菩提所のお話を聞きました。また、門前にあるかつての浦富桐山城主の垣屋宗管・恒総親子を祀った垣屋八幡宮のお話を聞きました。
辻西大師堂
辻西大師堂は弘法大師を祀ったお堂で、中町・下町女念仏講と刻まれた地蔵の台座は天保の頃に造られたものか?と言われているそうです。地区の人たちによって大切に守られてきた大切なお堂は地域の人たちの集まり、憩いの場ともなっています。
香林寺跡
曹洞宗通幻派の開祖通幻禅師生誕の地で「土葬祭(つげのさい)」と土地の人が呼んでいた伝承に基づく「飴買い幽霊」の民話で有名です。
通幻禅師は母親の死後にお墓の下(中)から誕生したと伝えられ、通幻大師と母の愛を、初代国連大使であった澤田廉三氏の提唱で「母子愛の碑」として顕彰碑が建てられました。「通幻和尚土葬神塔」、通幻禅師400年忌地蔵が並んでいて隣の道路脇には香林寺歴代住職の墓碑も建っています。また、香林寺は幕末の開国を進めた大老井伊直弼の師とされる仙英禅師が得度した寺といわれています。
その他、熊野神社とその社叢、秋葉大権現(火の神様)など町浦富をまち歩きしました。次回は10月23日に開講で専門講座4「浦富まち歩き2(浜浦富)」の予定です。準備中のガイド講師によると、全て紹介したら20数か所になりそうだとのことですが時間内に終われるよう絞りに絞る予定です。