浦富焼きは江戸の末期、安政2年(1856年)から明治維新により廃藩になるまでの20年余、磁器窯で焼成された焼き物のことを差し、染付の日用雑器、庶民の生活に必要な品々を焼かれていました。浦富焼窯跡地(岩美町大字浦富字姥ケ懐)は平成20年7月29日に町の史跡に指定されています。
当時、庶民はまだ木製の碗を使っていた時代、磁器を焼く窯が鳥取藩にはなかったといってもよく、磁器製品は遠く佐賀藩の唐津、有田などから海路で運ばれていました。この磁器製品の白くて固く、藍色の美しい絵付けは清潔で人々に好まれていたのです。
鳥取藩は藩外からの輸入を止めて藩内で作りたいと考え、開発に乗り出し、出石の陶工を招いて浦富焼が生み出された同年の安政2年(1885年)には浜坂窯が陶器から磁器に転じています。
浦富焼きの特色は一般庶民の為の雑器と高級品があり、雑器の種類は茶碗、お皿、仏器、香炉、箸立て、灯明皿、神前瓶子(じんぜんへんし)、燗子、徳利、湯呑、芋塩皿、火鉢など、高級品は抹茶用の茶碗、茶入れ、煎茶茶碗、盃洗(はいせん)、文具用具の硯、肉池、水滴、酒器、八角徳利、瓢箪型徳利、更に鵜殿氏の注文とおもわれる染付定紋入大筒などがあり、因浦富製の銘があるものは上物です。
浦富窯は鳥取藩主の家老である鵜殿家による保護(鳥取藩の助成)があったと考えられますが廃藩となり、浦富陶石は町内に埋蔵されていて明治に入ってからも色絵皿も試作されていたことがわかりました。
こういった試作品を作る陶工さんはどう思って制作していたのかな?時代の移り変わりにより以前のような仕事が出来なくなってきたことや今後のことをどう思っていたのかな?などお気持ちを想像すると心が動きますね。
昭和45年(1970年)に故山下碩夫氏が1971年桐山城趾の山麓に窯を築き、白磁・染付・黒刷毛を主に浦富の磁器として再び生まれました。現在は後継者として平田 俊之(ひらた としゆき)さんが創作されています。鳥取県岩美郡岩美町浦富3174−3に位置し、桐山登山口がある奥市広場に向かう手前にあります。※道が大変狭いため、軽自動車もしくは徒歩が安全です。
浦富焼きはギャラリー集(つれ)さんで購入できます。
(浦富焼初代山下碩夫氏らが設立した鳥取工芸の会メンバーの作品を展示販売するギャラリー)
〒680-0036鳥取県鳥取市川端1-104 0857-26-6156
平田俊之さんは1999年に、故山下碩夫氏に師事をし、2008年に浦富焼継承しました。2009年には旧本庄小学校がいわみ工芸村として利用されていた際に、陶芸教室の講師としてご活躍されていました。(のちに校舎の取り壊しにより閉校)
2012年には市展賞受賞という評価の高い作品です。平田さんの作品や物語は随時掲載します。