鳥取県岩美郡岩美町岩井にある山陰最古の岩井温泉の開湯は859年(貞観元年)とされ、平安時代の「八古湯」の一つに数えられる開湯1200年以上の歴史深い、かけ流し温泉です。
鎌倉末期に戦乱にて一度廃れましたが、江戸時代の鳥取藩主池田光仲が再興しました。但馬往来の旅人向けの宿と湯治向けの宿の二種類の旅籠(はたご)があり江戸時代半ばの寛政期には16軒の旅籠(はたご)、藩主専用のものも含めて8箇所の温泉があり、最後の藩主、池田義徳が入湯時には99名が訪れた記録があるそうです。(※岩美町教育委員会の平成27年発刊の冊子では12軒の旅籠だった説もあり)
その後、木島よしさんの尽力もあり京阪神からの観光客、鉱山の炭鉱夫など利用者も増え、にぎわいましたが、地震、戦争、社会変化等を経て2024年現在はゆかむり共同浴場・岩井屋・明石家の3施設(花屋は休業中)で入湯できます。
湯温は少し高めの 硫酸塩泉です。
硫酸塩泉とは
療養泉のうち塩類泉に分類され硫酸塩が含まれる苦味のある味。芒硝泉、石膏泉、正苦味泉に分かれ、温泉入浴を禁じられている人以外にはこれといった弊害のない無難な泉質である。 Wikipediaより
開湯伝説の中に、藤原冬久が巫女に導かれるように温泉を見つけ、皮膚病が治癒されたことから温泉を拓き、蒲生川の対岸にある地区を故郷の京都の「宇治」と名づけ、田畑の開梱を指導し、農業を発展させたことから庶民からは「宇治長者」と崇敬されたようです。
貞観2年(860年)には温泉の評判が清和天皇の耳に入り、藤原冬久へ材木と土地を下賜(かし:身分の高い人が、身分の低い人に与えること)した。そのことにより温泉の浴槽が造営され、その後、藤原冬久の子孫が代々、温泉の経営にあたったとされています。また東源寺は藤原冬久が開山(寺院を創始すること)したとされています。
明治末期に鉄道が通じると、京阪神方面からの観光客が増えましたが駅から少し遠いということから、かつてあった「木島屋」の女将、木島よしさんの尽力もあり、およし道路、大正15年(1926年)に岩井軌道が開通し荒金鉱山から出る鉱石や京阪神方面からの岩井温泉の入湯客を運び岩井温泉は大変にぎわったそうです。詳しくは木島よしさんのページに記載しています
岩井温泉ではゆかむりという入浴方法が江戸時代からあり、方法は湯治の際に手ぬぐいを頭に被り、専用の柄杓で湯を叩いて頭にお湯を掛けながら何人かで「湯かむり唄」を歌い継ぐもので、
などがあり、この目的は少しでも長くお湯に浸かって湯治の効能を高めるようという願いからです。島崎藤村の「山陰土産」にもゆかむりの唄について掲載しています。