荒砂神社

荒砂神社

鳥取県岩美町浦富に鎮座する荒砂神社の歴史について記載します

荒砂神社の歴史を知っておまいりにいこう!

荒砂神社は鳥取県岩美町浦富の浦富海岸に面する岩の上にある神社です。鳥居をくぐり、急勾配の石段を登り境内から望む浦富海岸はとても美しく、清掃や保護活動、祭事など、地元の氏子の皆様に大切にされている神社です。

 

アニメfree‼にも描かれているため、聖地巡礼に訪れる方も増えましたが歴史は長く、毎年例大祭が行われしめ縄づくりや榊の植樹も氏子で行っています。(下記に写真あり)


荒砂神社の主祭神とご利益は?

現在の本殿は江戸時代文化十(1813)年に再建され、五段の龍彫刻は、左甚五郎の高弟小倉円三郎の手で見事に彫られました。棟札に「当国岩井郡唐川邑住人、住居ハ鳥取立川町 文化拾歳 本棟梁 藤原小倉園三郎吉久作之 作年二拾八才」と刻まれています。

 

大物主が祭神で鳥取県では荒砂神社は美取神社との2社のみ祀られているそうです。大物主は稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として信仰を集めていました。

 

また、五穀成就・海上安全・豊漁の神として信仰されています。

創建は白鳳時代とされ、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将であり尼子氏の家臣の、山中鹿之助が桐山城を拠点とし様々な活動をされた際、尼子再興の悲願成就のため荒砂神社に100本の矢を奉納しています。その矢と伝えられる二本の矢が残っていて、2019年末に氏子により額に入れ奉納しました。

 

また鳥取藩主の池田家の家臣であった鵜殿家から寄贈された鎧兜も保存されています。

 

荒砂神社の鳥居の前の「両村和合繁栄」の石の常夜灯・石灯籠を寄進した松田道之とは、明治政府に出仕した鳥取藩士の中で一番の出世頭であり44歳で亡くなった時、道之は東京府知事でした。寄進の理由は、常夜灯の背面に記してあります。


荒砂神社の境内と周囲の風景と例祭の様子です