高野神社

高野神社

鳥取県岩美郡岩美町延興寺69の高野神社の歴史について記載します

高野神社の歴史を知ろう!

鳥取県岩美郡岩美町延興寺69に鎮座する高野神社の祭神は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、国常立尊(くにのたつのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、倉稻魂命(くらいなだまのみこと)です。

 

高野神社は『延喜式』神名帳(927年)に記載されている神社で、近世までは「鐘撞大明神」と呼ばれていました。『因幡誌』によれば、二上山の南の尾にある高野坂からこの地に移されたと記されています。また、白河天皇の承暦四年(1080年)六月の条にも「因幡国高野神」として記録されています。(高住神社も同様)

 

貞享元年(1684年)九月に新しい社殿が建立されたことが棟札に記されています。国常立命はもともと摂社で「若一王子」と呼ばれており、承応二年(1653年)八月に建立されたことが棟札に記されていますが、明治元年に「釜戸神」と改称されました。また、末社の神明宮(天照大神)、八幡宮(誉田別命)、神位社(倉稲魂命)を合祀して「山ノ神」と称していましたが、同年8月にこれらの四柱の神々を本社に合祀し、「高野神社」と改称されました。

 

巨木がありながらも開かれた明るい境内には奉納された手水岩があり昭和15年に『皇紀二千六百年記念の手水』と彫られています

 

例祭日:4月9日・秋祭9月9日
祭神:

  • 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)天照大神の孫/五穀豊穣、商売繁盛、国家安寧、 殖産振興
  • 国常立尊(くにのたつのみこと)/国土の安定や子年の守り
  • 天照大神(あまてらすおおみかみ)/太陽神、天皇家の祖先神
  • 誉田別命(ほむたわけのみこと)第15代応神天皇の事・神功皇后の息子/武運長久、国家鎮護、学問成就、家運隆昌
  • 倉稻魂命(くらいなだまのみこと)伊奘諾尊と伊奘冉尊の子/五穀豊穣、商売繁盛、農林業繁栄、諸産業隆昌、 諸芸上達

所在地:岩美町大字延興寺69