線路沿いから約90度曲がり鳥居をくぐると一気に静けさが増し,県内では珍しいシダ植物が生育している参道、岩壁からにじみ出る水と苔も美しいです。
甘露神社は852年(仁寿2年)5月に創祀と伝わり、現在地より西へ約1キロほど先にある通称神谷山にありましたが、中古、戦乱により、海賊が侵攻し放火や泥棒など治安が悪くなり村民が離散して神事執行ができなくなったため、現在地へ遷座しました。
また、羽柴秀吉の鳥取攻めの際に焼失し、江戸時代の貞享2年と元禄16年に建て替えられたと記録されています。
大山祇命と啼澤女命が祀られ、大山祇命は、いざなみがかぐつち(火の神)を産んだ時にやけどで亡くなったことに怒って切った時に生まれました。大山祇命は山の神ですが、別名の和多志大神の「わた」は海の古語で、海の神を表しますので山と海の神様のようです。(陸上の立地を見てなるほど!っと思える祭神ですね)啼澤女命はいざなきがいざなみの死を悲しんで流した涙から生まれた泉の湧き水の精霊神とされています。
秋例大祭は10月10日です。平成20年7月29日に社叢が町の天然記念物に指定されました。
甘露神社には平安時代の天皇が体調を崩した時に、因幡国はじめ九ヶ国に甘露が降るとお告げを受けたそうで、勅使(天皇の意思を直接伝える使者)が調べると、山麓の大岩にある笹に甘露がたまっているのを発見し、勅使がこれを持ち帰って天皇に献上したところ病気が治癒し、社号を甘露神社と改称したという伝説があります。
また『鳥取藩主の池田公から甘露神社に頂いたものを海賊に盗まれないように田河内神社に隠したもの』とされる謎の神輿伝説もあります。写真は田河内神社のページに掲載しました。
甘露神社は権現造りで、本殿前に不思議な霊獣があり、何とも言えないかわいらしさが個人的に好きです。補足ですが、権現造り(ごんげんづくり)とは、神社の本殿と拝殿を「石の間」や「相の間」と呼ばれる幣殿でつなぐ建築様式です。