定善寺・垣屋八幡宮・光成の五輪塔

定善寺・垣屋八幡宮・光成の五輪塔

鳥取県岩美町浦富の浄土宗の定善寺は因幡観音7番札所です。門前にあるかつての浦富桐山城主の垣屋宗管・恒総親子を祀った垣屋八幡宮についても記載します。

定善寺と垣屋八幡宮について

鳥取県岩美町浦富に位置する定善寺は因幡観音7番札所で浄土宗のお寺です。178号線を少し東に入った門前にある垣屋八幡宮はかつての浦富桐山城主の垣屋播磨守光成(宗管)・垣屋隠岐守恒総親子を祀っています。

 

誓正山定善寺 
宗派 浄土宗鎮西派 本尊 阿弥陀如来
鳥取県岩美郡岩美町浦富1507
0857-72-1354

因幡桐山城主垣屋播磨守光成(宗管)は但馬の山名氏の家臣でしたが、秀吉に降伏し、以降は羽柴方として但馬・因幡国境の水軍城の桐山城に入りました。因幡山名氏・毛利氏と何度も戦い、1580年(天正8年)には桐山城を攻めてきた毛利方の総大将牛尾大蔵を撃退、その後1581年(天成9年)には秀吉の鳥取城攻撃軍に参加し、落城後に戦の功績(軍功)により巨濃郡1万石の戦国大名となりました。

 

その後息子である恒総が文禄元年(1592)から慶長3年(1598)にかけて、行なわれた秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)にも軍勢参加し、関ヶ原の戦いでは西軍に属して断絶(改易:身分を取り上げられる)し、高野山に逃れて自害しました。父子2代で20年間治め、桐山城主となり浦富の城下町の初期の形態は垣屋時代に形成されたと考えられています。


垣屋播磨守光成(宗管)の五輪塔

垣屋播磨守光成(宗管)の五輪塔は平成7年9月26日に町の史跡に指定されました。

 

石造の五輪塔を檜皮葺の祠で覆い、平成2年には瓦葺の建物で覆って保存されています。

 

光成のお墓は桐山城内にありましたが現在地に改葬されています。鳥取藩主となった池田光仲の一族でこの地を与えられた池田加賀守政虎が居館を作るのに光成の墓が邪魔なため、埋葬されていた遺体を含め破却させるため、奉行人が掘り返したところ、三十余年を経たのにその姿はまるで行けるがごとく存じたといわれています。(ミイラ化)

 

また、このお墓を掘り起こした奉行人はじめ従った者は俄かにケガをしたり、即死したり病気になったり狂病を発症したことから霊魂(光成)の怨念・祟りだと人々に伝えられています。

 

垣屋隠岐守恒総の宝篋印塔は岩美町宇治の長安寺境内にあります

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、鎌倉時代中期以降に各地で造られた石造りの供養塔で、お寺などでよく見られます。方形の階段状の基壇、方形の塔身、笠、屋頂に相輪を載せた塔形で、塔身の四面に古くは梵字が刻まれています。