松岡駒吉(岩美町名誉町民)

松岡駒吉(岩美町名誉町民)

鳥取県岩美町岩井出身の松岡駒吉は、日本の政治家、労働運動家で第39代衆議院議長を務めました。 労働者団体友愛会メンバーで戦前日本の労働運動の代表的存在です。

松岡駒吉について

松岡駒吉さんは1888年4月8日鳥取県岩美郡岩井村(現岩美町岩井温泉)の温泉旅館「岩井屋」を経営していた松岡常次郎さんの三男として生まれましたが1902年岩井高等小学校を卒業するも家業の傾きにより進学をすることができず、地元の石油の行商をしたり郵便局集配員をし、1904年に舞鶴海軍工廠の職工となりました。

岩井屋さんは、鳥取県岩美町にある歴史的な温泉旅館で、創業150年を誇ります。地域の支援や創意工夫によって復活を遂げ、特に、地元の観光名所との連携や、伝統的な温泉文化を守りながら新しい取り組みを行うことで、再び注目を集めるようになりました。現在、長きにわたり人気の高い温泉旅館です。

そこで舞鶴の教会に英語を学び始めたことをきっかけにキリスト教に興味を持ち、仕事では大阪、室蘭製鋼所、と技術向上を目指して移住をしながら吉野作造や安部磯雄の著書に感銘を受け、キリスト教社会主義に関心を持つようになり、1914年に結成された友愛会室蘭支部の会長鈴木文治の人柄に感銘を受け友愛会に入会しました。

 

活動の軌跡は友愛労働歴史館にてご確認いただけます。

 

松岡駒吉さんは当時の家庭の事情とは言え学歴がないことから働く上で悔しい思いをされることもあり、一生懸命働きスキルアップを重ねてきました。労働運動も行い、戦後翌年の1946年には日本労働組合総同盟が発足し会長となりました。1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧東京2区から出馬し当選した以後当選6回、初当選翌年の1947年に初の無産政党出身の衆議院議長に就任し、新しい風ということで注目されました。

 

松岡さんは労働者の権利を守るために尽力しつつも、現実的な妥協を重視する姿勢を持ち、労使協調を目指しました。そのため、時には批判を受けることもありましたが、彼の誠実さと労働運動への情熱は多くの人々に評価されています。

 

1958年8月14日70歳の時に肝臓病のため死去、出身地である岩美町では岩井小学校に顕彰碑が建立され1990年(平成2年)11月 には名誉町民として顕彰されました。

岩井温泉にかかわる偉人のお墓参りにて

以前、山陰海岸ジオパクガイド養成講座に参加した際、岩井温泉の発展に尽力した木島よしさんと松岡駒吉さんについて学び、お墓参りに行きました。

 

講座の座学では年表を見ながら学び、お二人を通して感じたことは、当時、現状を良くしようと行動する事により障害や、時に争いもあったはずで、それでも貫く意志は、

 

私利私欲ではなく、人の為

 

という視野や器も大きさ、人への思いが強かったと個人的ではありますが受け止めました。岩美町の功績を残された方の活動があったこその今への感謝。これから若い人・子供にも伝えていくことは非常に大事で【いわみのあしあと】にも反映していこうと改めて感じました。