道竹城跡

道竹城跡

鳥取県岩美郡岩美町の道竹城の歴史と城址・遺構について解説します。

道竹城址を学ぼう

(どうちくじょう)は、鳥取県岩美郡岩美町新井の後山にあった日本の城(山城)で、JR岩美駅前から見える岩美高校や岩美中学校の西側の標高150mの山頂にありました。

 

一説によると、但馬山名氏一族三上兵庫頭が城主で、天文10年(1541年)前後に築城。現在は山藪や樹木に覆われ、人がほとんど立ち入っていないため、土塁、居館跡、曲輪、竪堀、切岸、堀切など城郭遺跡を直接確認することがこの時期難しく遠くからの見物になります。遺物として天目茶碗・青磁・染付・古備前があります。

近年では地元の方々のボランティア活動で仙英ヶ丘など登山道の整備を行い、遺構が見えやすくなりました。

仙英禅師の碑 道竹城の遺構を望む

道竹城主の三上兵庫頭豊範のお墓(宝篋印塔)について

この写真は田の中にある三上兵庫頭墓(三上兵庫頭の宝篋印塔)です。但馬国守護山名祐豊の弟とも云われる人物で山名勝豊が居城を二上山城から布施天神山城へと移した後、治安が悪くなったことを悩んだ村人が但馬山名氏に相談し、但馬山名より三上兵庫頭を二上城の城主として呼び寄せたのですが、二上山が山高く不便だということで、道竹城を築いたそうです。

 

 

 

その後、1564年(永禄7年)、因幡守護・山名豊数に道竹城を急襲され、逃げて二上城に向かう途中、このあたりで落馬して討ち死に…という言われもありますが三上豊範ではなく三上経実では?という諸説あるようではっきりしたことを断言して書くことができません。特に歴史などは色んなゆわれもあり、専門家の膨大な研究結果や、歴史好きのマニアックな話もあり真相を理解して伝えるのにはもう少し学習と整理が必要で…教科書に掲載されない岩美のピンポイントでの歴史で知らないことも多くあり、まだまだ学ぶことだらけです・・・


道竹城周辺の歴史・観光スポット

道竹城周辺には
許野乃兵主神社 
きなんせ岩美
があります。

 

平成28年3月26日に岩美町浦富から本庄までの山地を貫く延長1,187メートルの「道竹城(どうちくじょう)トンネル」が開通し、名前の由来はトンネルの山頂に道竹城があったとされるからという由来です。