鳥取県岩美郡岩美町岩常の広域農道沿いにある高野坂古墳公園みは30基程の古墳や横穴墓が点在しています。岩美町岩常、県道37号線からパラダイスパークの広域農道西に進むと、高野坂古墳公園の標識がでてきます。
石垣に囲まれており、古墳の周りは少し歩くことができ、通常は鍵がしまっていますが岩美町役場の許可を取って中まで入ることができましたので写真を掲載します。
昭和60年から平成2年の広域農道整備により調査をしたところ、貴重な研究資料になると判断されましたが、広域農道整備の関係で、そのまま保存することができず、高野坂10号墳が50mほど北西にあった位置から現在地に移築されました。
1975年(昭和50年)8月11日には家形石棺が町の史跡に指定され、10号墳出土銅製壺鐙・帯金具は町の保護文化財に指定されました。壺鐙は昭和62年7月15日に発掘され、帯金具は昭和62年6月から12月にかけて石室内で出土された8点です。
またこの周辺には古墳だけでなく上ミツエ遺跡や上太夫谷遺跡、二上城跡など、岩美町の祖先の暮らし・歴史を遺しています。
高野坂古墳は鳥取県岩美郡岩美町岩常の二上山に点在していますが、登山もひそかに人気で二上山にはかつて二上城もありました。山頂から望む浦富海岸や岩美の集落もご覧ください。
また土器などは岩美町中央公民館に展示されていますので興味のある方は併せてお立ち寄りください。
刳り抜き式(丸太を縦に半分に割って内側を刳り抜き、両端に小口板をはめ込んだ木棺を石で置き換えた石棺の一種)の家形石棺(古墳時代後期の石棺の一種。 長い箱形の石棺に屋根状の蓋がある)です。
また石室の床からは希少な銅製の壺鐙(つぼあぶみ)が発見されました。壺鐙は馬具(唐様の鞍具)の鐙の一種で壺を横にしてそこにつま先を入れ乗りやすいようにするものです。自転車のペダルのつま先カバー付きみたいな見た目?だとわかりやすいでしょうか…。
2023年現在36基の存在が確認されており、出土品・遺構の内容は質・規模ともに因幡を代表される後期古墳群とされています。
出土土器から、6世紀中頃から8世紀にかけて長期間古墳が造られ、その変遷が追えるとのことで、盗掘されているものの、10号古墳から埋葬施設や残された副葬品からみても古墳群の盟主的存在であるそうです。
藪をかき分け、石室の天井部分が無くなった9号墳を真上から石室・石棺を覗いたり、また7号墳では石棺は失われていますがこうもりのいる石室に入ることができました。
また、5号墳は、鳥取市の布施運動公園に移築復元されていますが、石室の天井石は31トンという巨大なものです。(その天井石を吊り上げるために、3倍の90トン用の巨大のクレーン車を使ったとのこと。)