鳥取県岩美郡岩美町牧谷地区には「牧谷のはねそ踊り」があり、昭和49年10月18日に鳥取県の無形民俗文化財に指定されています。
因幡地方独特の六尺長柄(ながえ)の風流傘を持った男性と、編笠をかぶった女性が差し違え(対)に躍る、優雅な手踊りが特徴です。衣装は男女ともに浴衣に白足袋に草履という清楚なもので、男性が持つ傘には因州和紙が貼られ金銀の短冊と百余りの鈴が付いていて、その鈴の音に合わせて女性が弾むように踊ります。
「はねそ」の語源は踊る形が裾をはねるように踊る、「はねすそ」→「はねそ」になったと伝えられています。※昭和55年明治大学が取材した資料を参考
このはねそ踊りは盆踊りとして伝承されたのちに、舞台や座敷でも躍るようになりましたが笛や太鼓などの鳴物囃子はなく、音頭は浄瑠璃の台本を用い、「仮名手本忠臣蔵」「太閤記」等が使われますが主として「絵本太功記十段目尼ヶ崎」を用いています。
約400年前の戦国時代に豊臣秀吉が毛利勢と戦う際に山陰地方に攻め入った際、武士が農民や町民に変装して入り、この地方の老若男女に踊りを教えて、人々が夢中になっているすきに砦を落とし入れたのがはじまりでるという説
窯くあ時代に行われた仏前の稚児(「天童」と言われ佛道を志す幼童のこと)の舞いが次第に転化して江戸時代に念仏踊りとして形態が整ったとされる説
伝承や分布を検証した結果後者(2)の方が真実味があるとされています。
伝承の方法は、陸路と海路の二説で陸路は各地を遍歴する修験者が物乞いの時に踊ったり話したものが広まったと考えられ、海路では日本海を利用し秋田周辺から新潟、福井、といった北陸を通って山陰に伝えられ広く分布し、音頭の部分で新潟県の相川音頭と多少の類似性があったり、福井県や兵庫県にもはねそ踊りが伝わっているということが裏付けになります。