岩美町名誉町民である澤春蔵さんは明治34年に大谷で生まれました。
春蔵さんは大岩小学校を就学前から脚を痛めていたことからか、当時最先端であった自動車に注目し、自動車を使った事業をしようとお金を貯めるために質素な生活を重ねました。まだ日本国内でも車の所有数も少なく、更に鳥取県内になると珍しいものだったのでかなり先進的な思考かつ、ご自身の身体の事を想うと努力家で前向きな思考だったことがうかがわれます。
そうして1919年(大正8年)18歳の時に貴重な資金でトラック1台を購入して運送業を開始するもなかなか軌道に乗らず、1923年(大正12年)の関東大震災の時に復興事業に参加しようとするも、鳥取から東京は遠すぎるということで大阪でタクシードライバーとして働くことにしたのち、1926年(大正15年)3月、春蔵さんが25歳の時、大阪に「澤タクシー会社」を創立しました。
その後、室戸台風(多数の車両被害)、日中戦争の経済統制、第二次世界対戦の空爆(火災焼失)、枕崎台風(冠水)などで様々なトラブルに見舞われるも、その都度踏ん張って努力を重ね寺社でできる事業を決意し苦難を乗り越えました。
鳥取県では1945年(昭和20年)10月に免許がおり、「沢(澤)タクシー」が改行されのちの1966年(昭和41年)8月には屋号を日本交通株式会社(鳥取)に変更し関西と山陰の2拠点で事業をそれぞれで展開し、大阪と鳥取を結ぶ長距離バスを計画し、それを14年かかって実現しました。
春蔵さんは「人の3倍は働く」と一生懸命働き、苦難の過去を振り返り、「1.体力、2.智力、3.忍耐力、4.情熱的努力」の4項目の信念を挙げているそうです。厳しすぎると思われるかもしれませんが、人柄も良くタクシー業界では親しみと敬意から「和尚さん」と呼ばれていたようです。
そのあらわれに、故郷へ奉仕する気持ちを持ち、同郷を積極的に雇用し環境整備にも貢献していたことなどが功績と称えられ死後には五位勲三等瑞宝章が国から送られ、岩美町では村民の有志により顕彰碑も建立されています。
何気なく利用していた日本交通さんのバス、大阪から鳥取、鳥取から東京、鳥取から福岡、鳥取から広島、鳥取から三宮、大阪から倉吉っと今は廃線になっているコース含め出張の時や帰省などでよく利用させていただきました。鳥取駅から浦富や、鳥取駅から鳥取砂丘、鳥取砂丘から網代、浦富から岩井温泉など町内でも利用させていただいていますが、これは春蔵さんと春蔵さんを慕った従業員の皆様の尽力で築かれていったものだと思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。
これから人口の推移などによりどのように変化していくかわかりませんが、高齢になり自動車の運転ができなくなってくることも含め、その時にバスがあるとすごく助かります。ですので日頃から出来る限り利用して護り継いでいきたいなと思います。
日本交通バス
鳥取本社営業所
鳥取県鳥取市雲山219番地
岩井車庫
鳥取県岩美郡岩美町岩井584番地
日本交通タクシー岩美営業所
鳥取県岩美郡岩美町浦富1031番地4
0857721321