鳥取地震は、1943年(昭和18年)9月10日に鳥取県東部で発生したマグニチュード7.2の地震です。この地震は浅い震源で、鳥取市では震度6(当時の最大震度)を記録しました。以下に詳しく説明します。
震度6というのは当時の最大震度であり、実際の被害の様子を現在の定義に合わせると、広範囲にわたり家屋倒壊が30%以上になることから推定7はあったのでないかといわれています。
※被害総額は、公共建築、土木、耕地、林務、農水産、畜産、商工関係をすべて合わせ、概算で約1億6千万円
死亡 | 重症 | 軽傷 |
---|---|---|
83人 | 43人 | 222人 |
上記の被災者人数には、荒金鉱山の被災者も含まれています。
地震発生直後、荒金鉱山で鉱泥を溜めていた堰堤が決壊し、およそ4万3千立方メートルの鉱泥が流出しました。この泥流は堰堤直下に位置していた朝鮮人労働者の宿舎や荒金集落を直撃し、朝鮮人労働者とその家族28名、日本人37名、合わせて65名が犠牲となりました。発生後、鉱山労働者や地元住民による懸命な収容作業が約2カ月間行われましたが、現在もなお32~33名の遺骨が鉱泥の下に眠ったままです。特に、朝鮮人労働者の宿舎は堰堤直下にあったため、泥流の最も深い部分に埋まってしまい、発見された遺体はわずか2体にとどまりました。
犠牲者を追悼するために日本鉱業株式会社が1948年(昭和23年)に慰霊碑を建立し、地元住民たちによる慰霊祭が毎年9月10日に行われるようになりました。1988年(昭和63年)には、犠牲者の祖国を遠望する位置に慰霊碑が移築されました。
また、1990年代以降、在日本大韓民国民団鳥取県本部と在日本朝鮮人総連合会鳥取県本部が共同で朝鮮の伝統的儒教式に則った祭祀(チェサ)を行って、犠牲者を慰霊する活動が続けられています。
※1990年には鉱泥から掘り出されて地元の寺におさめられていた朝鮮人犠牲者1名の遺骨が、韓国の中部・忠清南道天安市にある国営墓地「望郷の丘」に納骨されました。
荒金鉱山犠牲者慰霊碑 (鳥取地震犠牲者供養塔)
〒681-0055 鳥取県岩美郡岩美町荒金360
鳥取県西部地震は、2000年(平成12年)10月6日に鳥取県西部で発生した地震で、マグニチュード7.3を記録しました。この地震は、震源の深さが約9キロメートルと浅く、鳥取県日野町や境港市では最大震度6強を観測しました。
この地震は、人口密集地ではなく山間部で発生したため、人的被害が比較的少なかったとされています。また、鳥取県では地震の2か月前に防災訓練を実施しており、その成果が迅速な対応に繋がったと評価されています
鳥取県中部地震は、2016年(平成28年)10月21日に鳥取県中部で発生した地震で、マグニチュード6.6を記録しました。この地震は浅い震源で、倉吉市、湯梨浜町、北栄町で最大震度6弱を観測しました。以下に詳しく説明します
この地震は、活断層が確認されていない地域で発生したため、専門家の間で注目されました。また、震源付近では短周期の揺れが卓越しており、屋根瓦や壁の損壊が多く見られましたが、家屋の倒壊は比較的少なかったとされています。
鳥取県では迅速な対応が行われ、被災者支援や復旧作業が進められました。また、観光業への影響を最小限に抑えるため、「がんばろうプロジェクト」などの取り組みが実施されました。
京都大学の西村卓也准教授と東北大学の遠田晋次教授によれば、山陰地方では地盤が年間約3~4センチ東方向に移動していることが確認されています。このため、ひずみが蓄積しやすい地域が島根県東部から兵庫県北部にかけて帯状に広がっており、この地帯は地震が発生しやすい地域として注目されています
岩美町では過去の地震の教訓を伝承し、町内会ごとで避難訓練をしたり、被災時に炊きだしをする事になった場合にどうするか?など地域の助け合いについて話し合っています。