金峯神社を知っておまいりに行こう!金峯神社は金峯山の山頂付近にある神社で、祭神は天水分神、国水分神、勾大兄神で奈良県吉野の金峰山から勧請(分霊を迎える)したと伝わっており岩美町と新温泉町をまたぐ牛ヶ峰山とともに修験道の地でした。(下記追記)金峰神社の歴史は古く、平安時代末期に奈良吉野の金峰神社から蔵王権現を勧請し、のちに紀州熊野信仰を移した聖地となりました。源頼朝が社領を寄進(300石)したといわれ、中世1353年には山名氏清が治世祈願のため社領寄進(3000石)し、山腹に32坊を擁する修験道の拠点として栄えましたが、1580-81年の秀吉による因幡攻めの際に焼失しそれ以前の記録を失いました。その後1713年に鳥取藩主池田氏の命を受けた鳥取淳光院に迎せて、牧谷龍王寺を再建し、現在の姿になっています。金峯山は高さ328.7mの花崗岩でできた山で山頂には安山岩や流紋岩、道中には柱状節理も見受け、春には桜が咲き山麓には牧谷又助池のカキツバタ群落が5月に見頃を迎えます。金峯山は相谷の大鳥居側を通る方が主で、大鳥居側はアスファルトの道が1車線分で、両側に藪があるため軽自動車でギリギリ、カーブも多く車体の傷も不安になります。拝殿前の道端に1台置けるスペースがありますが、普通車ではUターンは厳しいので徒歩が良いです。牧谷側から登山ができますが、牧谷側は主に集落の人が利用していて人の出入りが少ないため地域の方が草刈りをするとき以外は藪になるようです。例祭日:4月18日・秋祭9月18日祭神:天水分神(あめのみくまりのかみ)/伊邪那岐神と伊邪那美神による神産みの段で速秋津比古神と速秋津比売神の子/水の神、雨乞い、農業に強い神として降雨潅漑(降水(天水)に頼らず、農地に水を供給する農業技術)・灌漑治水(かんがいちすい)祈願の神國水分神(くにのみくまりのかみ)/速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)と速秋津比売神(ひめのかみ)の子/地上の水(川)の分配を司る神↑天水分神と対の関係勾大兄神(まがりのおおえのかみ)/安閑天皇(あんかんてんのう 466年?ー 536年)/五穀豊穣や商売繁盛、国家安寧、殖産振興所在地:鳥取県岩美町大字牧谷925明治10年(1877年)4月神仏分離令により金峯山神社を残し龍王寺は廃寺、物体と仏具は観照院(鳥取県岩美郡岩美町岩本350)に合併、明治12年には信徒の要望により蔵王権現(牧谷権現)を本尊とする吉祥院を浦富(鳥取県岩美郡岩美町浦富1744)に再建しました。金峯山と金峯神社の歴史金峯山(きんぷさん)は、標高328メートルの山で、岩美町の海の近くにあり、昔、漁師たちはこの山を海の目印として使っており、山頂近くには「灯明の松」と呼ばれる大きな松があり、航海の目印とされていました(現存せず)。山頂は小さな樹木に囲まれた小さなピークで、テレビ塔の無線基地があります。北西方向からは、浦富海岸や田尻港、岩美の町並みを見渡すことができます。この金峯山は、紀州熊野信仰を移した聖地で、紀州熊野神社系の修験道の神仏が、伯耆大山、三徳山、荒金の行者山に伝わり、峯伝いに鳥越の牛ヶ峰、そして牧谷が終着地であると伝えられています。※明治5年修験道廃止金峯神社拝殿手前の籠り堂の中にある絵馬と俳句の奉納も見学しました!※牧谷集落の方のガイドで登山しました